INTERVIEWインタビュー
スペシャルインタビューシリーズ
TALK LIKE DANCING! ―オドルヲカタル!―
なぜ彼らは踊り始めたのか?そして、ダンスは彼らの人生をどう変えたのか?
アジアのダンスシーン最前線で活躍する人々へのインタビューシリーズ「TALK LIKE DANCING!―オドルヲカタル!―」。
第1回の演出振付家MIKIKO氏、第2回のUSA氏に続いて、第3回は特別編として、
ダンス・ダンス・アジア東京公演で演出・振付を務めるハムディ・ファバス氏と、
ブレイクダンスのスペシャリストで、ワールドワイドに活動するダンサーKATSU1氏が対談形式で語り合う。
「ダンスシーンを豊かにするために」
第3回はシーンのキーマンが語り合う特別編。前編では世界の貧困問題とダンス、ダンサーの地位向上、
そして、ブレイクダンスのユースオリンピック正式種目化について、ダンス・ダンス・アジア東京公演で
『Soul Train』を発表するハムディ・ファバス氏と、日本を代表するブレイクダンサーで、
現在は株式会社を立ち上げ、世界の貧困支援にも取り組むKATSU1氏に語り合ってもらった。
そして、ブレイクダンスのユースオリンピック正式種目化について、ダンス・ダンス・アジア東京公演で
『Soul Train』を発表するハムディ・ファバス氏と、日本を代表するブレイクダンサーで、
現在は株式会社を立ち上げ、世界の貧困支援にも取り組むKATSU1氏に語り合ってもらった。
ハムディ KATSU1さんと初めて会ったのはシンガポールでしたよね。
KATSU1 そうそう。シンガポールで行われている「SCAPE RF Jam (https://www.radikalforzejam.com/aboutus/)」という大会には、東南アジアからいろいろなチームが集まるんですけど、ハムディとはそこで出会って。
ハムディ 初めて会ったときに、KATSU1さんがストリートダンスシーンに大きな影響を与えている人だと聞いて、ぜひ話をしたいと思って挨拶しました。第一印象はとても謙虚で面白い方。それ以来、ずっとリスペクトしています。
KATSU1 僕はハムディの先輩ダンサーと、同じチームでクルーメイトだったんです。だから、彼からインドネシアにダンスコミュニティがあることは聞いていましたが、「SCAPE RF Jam」を訪れ、ハムディを含めインドネシアのダンサーが大勢いることに驚きました。クルーメイトだったダンサーもシーンに影響力のある人だったので、ジャカルタで彼らのプロジェクトに参加したこともあります。
ハムディ その後もKATSU1さんとは、東南アジアの大会で何度も顔を合わせています。
KATSU1 あとは、SNSでやりとりしているよね。
KATSU1さんは国内、海外を問わずに活躍されていますね。
KATSU1 僕はダンスは大学の4年間だけにして、教師になろうと思っていました。でも、4年の間にダンスで叶えたい夢が10個くらいあったんですが、それが確か半分くらいしか達成できていなかったのかな? それで「このままでは就職できないぞ」と思って、ダンスを続けました。その後、残りの目標を達成して次にどうしようかと考えたときに、ダンスとは別に海外に住むという夢があったので、30歳のときにオーストラリアに移住したんです。
ハムディ 海外に移住したいと思ったのはなぜだったんですか?
KATSU1 それまで西洋にカッコいいイメージを抱いていたけど、海外を回ってみると「いや、日本のほうがカッコいいぞ」と思えた。それでダンスを一切取り払い、KATSU1ではなく石川勝之としてどれだけ通用するか試したくなったんですね。ただ、オーストラリアでも審査員や講師の依頼があってダンスとの縁は途切れなかった。だったら職業「B-Boy」としてオーストラリアで認められ永住権を取りたいと思ってトライしたら実現できたので、日本に帰ってきたんです。その後、フィリピンやベトナムで、厳しい環境に置かれた子供たちと接する機会があって「その子たちを助けたい、ど
うすればいいんだろう」と思ったときに、やっぱりお金が必要だと思いました。
うすればいいんだろう」と思ったときに、やっぱりお金が必要だと思いました。
それも会社を興された理由の一つですか。
KATSU1 ええ。またこれは僕の個人的な意見ですが、ダンスを本気で追求する人は他の仕事に就くのが難しく、収入面を含め、自分の生活に納得していない人が多いんです。そこを改善するために、ダンスに関連する形でなにかやれないかと思ったんですよ。ダンスで会社を興して収入を得ることができれば、熱意あるダンサーの生活も安定するし、厳しい環境の中にいる子供たちも救うことができる。そこからダンスが仕事になっていったという感じですね。
ハムディ 今、KATSU1さんがおっしゃった問題は、インドネシアにも共通するものです。「楽しい」というところからダンスを始め、ダンスがさらに好きになると、もっといろいろなことをやりたくなりますよね。でも外から見ている人には、「なぜ、そんなことに熱中するの?」となかなか理解してもらえない。やはり社会的、文化的に認知されていないと、仕事にするのは難しいんです。
多くのダンサーが、ダンスを続けたいと思っている。でも、同時に生活もしなくてはいけない。だからダンスを仕事に繋げようとしている人が大勢いるわけですが、KATSU1さんほど勇敢に行動できる人は少ないと思う。その姿勢には学ぶところが非常に多いですし、インドネシアのダンサーも、さらに広い視野を持ってお互いに協力し合うことができれば、KATSU1さんが目指している理想を実現できると思います。
たとえばダンスがクリエイティブ業界の一部として認められ、仕事にできるようになれば、子供たちが将来の選択肢の一つとしてダンスを選べるようになる。さらにアスリートのように、自分の街や国を代表して活動することもできるようになるかもしれない。それはストリートダンスシーンにとっても素晴らしいことだと思います。特に今年、ブエノスアイレスで行われるユースオリンピックでは、ブレイクダンスが正式種目として採用されたので、それもアピールして一般への認知度を高めたいですね。
多くのダンサーが、ダンスを続けたいと思っている。でも、同時に生活もしなくてはいけない。だからダンスを仕事に繋げようとしている人が大勢いるわけですが、KATSU1さんほど勇敢に行動できる人は少ないと思う。その姿勢には学ぶところが非常に多いですし、インドネシアのダンサーも、さらに広い視野を持ってお互いに協力し合うことができれば、KATSU1さんが目指している理想を実現できると思います。
たとえばダンスがクリエイティブ業界の一部として認められ、仕事にできるようになれば、子供たちが将来の選択肢の一つとしてダンスを選べるようになる。さらにアスリートのように、自分の街や国を代表して活動することもできるようになるかもしれない。それはストリートダンスシーンにとっても素晴らしいことだと思います。特に今年、ブエノスアイレスで行われるユースオリンピックでは、ブレイクダンスが正式種目として採用されたので、それもアピールして一般への認知度を高めたいですね。
この件についてはKATSU1さんも、公益社団法人日本ダンススポーツ連盟のブレイクダンス部長の立場からも関わってらっしゃいますね。
KATSU1 はい。ブエノスアイレスのユースオリンピックでは、審査員として携わらせていただきますが、周りのB-Boyシーンを見渡すと、ブレイクダンスが正式種目になることへの反対も少なくありませんでした。「ダンスはスポーツではなくカルチャーだろう」と、つまり評価を点数化することによって「ブレイクダンスのよさが潰されるのでは?」と危惧する声もありました。
でも、僕個人としてはブレイクダンスの世界大会にはポイント制のものもありますし、すでにスポーツ化されているのでは、と思う部分もある。しかもユースオリンピックは若年層の大会ですから、ダンスを踊る子供たちが目指せる場が一つ、生まれたと認識しています。
ただ、ストリートダンス側もオリンピック側も、お互いに妥協しないと成り立たない部分もあります。たとえばストリートダンスにはスラングから生まれた動きがいくつかあるのですが、そういうものをユースオリンピックでやるのはどうなのか、と。ただやるからには、本気でみんなが目指したいと思う場にはしていきたい。そうすることでストリートダンスシーンが、さらに豊かなものになればいいと思います。
でも、僕個人としてはブレイクダンスの世界大会にはポイント制のものもありますし、すでにスポーツ化されているのでは、と思う部分もある。しかもユースオリンピックは若年層の大会ですから、ダンスを踊る子供たちが目指せる場が一つ、生まれたと認識しています。
ただ、ストリートダンス側もオリンピック側も、お互いに妥協しないと成り立たない部分もあります。たとえばストリートダンスにはスラングから生まれた動きがいくつかあるのですが、そういうものをユースオリンピックでやるのはどうなのか、と。ただやるからには、本気でみんなが目指したいと思う場にはしていきたい。そうすることでストリートダンスシーンが、さらに豊かなものになればいいと思います。
ハムディ 非常に難しい問題です。たとえ自分が「これはシーンに好影響を与える」と信じていることであっても、周りが反対することもあるわけですから。僕がインドネシアで初となるダンスコミュニティ「Bboy Indonesia(Bboyindo)」(編注・ハムディが2003年にインドネシア初のBboyオンラインコミュニティサイトとして立ち上げ、2012年にNPO化。http://bboyindo.com/home/)を立ち上げたときも、やはり反対の声がありました。でも僕は気にならなかったし、そのときの自分と同じように突き進む姿勢を今の KATSU1さんから感じる。普段の僕自身は、対立が起きる場所に自分を置きたくないと思ってしまうのですが(苦笑)、KATSU1さんが戦う姿からは、いつもインスピレーションを受けています。
今のストリートダンスシーンは成長し続けていますし、今後もその成長は止まらないと思います。0から1になって、1から100になっていくと思う。だからこそ、ダンス・ダンス・アジアやユースオリンピックといった、ダンサーにとって新たな機会が生まれているのだと思います。
今のストリートダンスシーンは成長し続けていますし、今後もその成長は止まらないと思います。0から1になって、1から100になっていくと思う。だからこそ、ダンス・ダンス・アジアやユースオリンピックといった、ダンサーにとって新たな機会が生まれているのだと思います。
【KATSU1】
BBOYとして「FREESTYLE SESSION USA」優勝、日本人初となる「R16」世界大会のショー部門とバトル部門をダブル優勝などの実績を有し、SOLO BATTLE「Red Bull BC One」世界大会 in ニューヨークや「BATTLE OF THE YEAR」世界大会 inフランス で、現役のBBOYとしては日本人初のゲストジャッジを務める。2010年に活動拠点を日本からオーストラリアへ移し、2013年にオーストラリア永住権を取得。同年にストリートダンスの文化、ストリート文化の発展を目指し「株式会社IAM」を設立。
【Hamdi Fabas ハムディ・ファバス】
ダンサー、振付家。オーストラリアで育つ。インドネシアを代表するダンス・アイコン。4年6ヶ月の間にインドネシアで大人気を博した2つのTV番組で審査員を務める。1997年よりアーバン・ダンス文化とエンタテインメント業界のサポートを開始。2003年にインドネシア初のダンスコミュニティ、Bboy Indonesia(Bboyindo)を設立。2011年にはFabas ART Dance Productionsを、「P.H.A.T crew」のSabina Jacinthaとともに立ち上げる。また、自身のクリエイティブな活動と並行して、MintZ Nge-DanZe GokilZの審査員を務めるなど、インドネシアのダンスの発展と青少年の育成にも力を注いでいる。